2008年5月26日のお稽古から通いはじめました外神田織鏡、二期生であります。今年の5月でまるまる3年になります。昨年の自主稽古後の飲み会でのことでございます。一期生の○橋織○さんのお話では、3年やって修羅場調子、謡調子ができないような奴は箸にも棒にもひっかからないから辞めた方がよい、とのことでした。今年、と申しますか、5月26日までの残り4カ月、まさに修羅場でございます。
 さて、講談の効能と申しますと、まずなによりも声の通りがよくなったことです。一昨年のことですが、20メートルほど先を走っておりました自転車が荷物を落としました。落とし主は気づかずにどんどん走っていきます。「落としましたよ」と声をかけた時には、すでに30メートルほど離れておりましたが、自転車がピタリと止まり、振り向いた女性の美しいのなんの、静御前か袈裟御前、はたまた香織師匠かと驚くばかりの絶世の美女。おっと講談の効能のことでございました。その麗しきお方が自転車の向きを変えて戻ってこられ、無事荷物を拾い上げニッコとほほ笑むその笑顔。たまたま金魚屋さんの前でしたので水槽の金魚がみな沈み、カラスが群れをなして空からバラバラバラっと落ちてまいりました。そればかりか隣の花屋さんの花が羞恥のあまりみなうつむいてしまったのであります。あっ、また話がそれてしまいました。
 50メートルとどく声に、と言われておりますが、お稽古をはじめて1年もたたないうちに30メートル先を走り去る自転車に届く声になりました。しかも街中で声をはりあげても、けっして五月蠅い音声ではありません。
 効能はまだあります。コミュニケーションの幅がグーーーンと拡がったのでございます。5月からはじめました講談、日々練習をしておりましたら、それを聞いていた猫のニーノの鳴き声が変わったのです。ニャー、ミーと静かな甘え声でしたが、語勢(つっこみ)を修得し、ニャーーーと字で書くと区分けがつきませんが、ツッコミなきを身につけたのです。猫ばかりではございません。鎌倉と逗子を隔てる披露山に毎朝、175段の石段を駆けあがりながら声を出していたときのことです。「やあ、やあ」、「さあ、さあ」の「あ」のほうに語勢を持たせよ、との教えを守り、「あーーー、あーーー」とやってますと、彼方から「あーーー、あーーー」と声がするのです。コダマが返るほどの山ではありません。あたりを見渡しておりますと、なんとカラスが真似をして「あーーー、あーーー」と鳴いているのです。「カーー、カーー」ではなく、「アーー、アーー」とやってくれたのです。こうして、猫、カラスとのコミュニケーションが深まってきたのも講談のおかげです。
 この山には、ボタン、ナッツ、ひまわり、エダマメ、ピーちゃん、福ちゃん、大ちゃんと名付けられた猿たちがいます。猿の前でも講談の稽古をしております。また、昨秋から鳶との交流もはじめました。

 5月までの4カ月、修羅のごとき形相で修羅場調子、謡調子を身につけまして、その後は猫、犬、猿、カラス、鶯、鳶との稽古に励み、哺乳類、鳥類に限らず、両生類の蛙、爬虫類の蛇、昆虫にいたるまで、全環境講談を目指すべく、粉骨砕身、不眠不休、稽古に稽古を重ね獅子奮迅。励む所存でございます。人間ですと上野広小路亭は80人ほどで満席となりますが、ざっと目の子で見積もったところ、ゴキブリなら三万匹ほど入ります。床ばかりでなく壁、天井にも貼りついてもらいますと十万匹はいけるかもしれません。十万匹のゴキブリを前に講談を語るという人類史上初の快挙、前人未到、空前絶後、支離滅裂、裸離骨灰。<希望格差社会>などという社会学者のたわけた寝言に惑わされることなく、夢は大きくもちたいものです。

 追記
 1980年代のはじまりとともに、事態は変化し始めている。西ドイツの人たちは突如として、長い間まったく気づかなかった事実、すなわち、自分たちは「占領された国」に住んでいるという事実に気づいたのである。郊外の休養地が演習場に変えられていくのを、市の当局は無力に見つめているだけであった。自分たちの町や村に、一体どんな化学兵器が保管されているのかを町長も村長も知ることができない。戦闘機の演習の爆音が、小さな子どもたちを泣き叫ばせている。こういった状況のなかで、長い間忘れ去られていた国家の主権という問題が、再び表面化してきた。私たちは被占領国にいるのか。アメリカ人の軍事植民地に住んでいるのか。私たちには一体、どんな権利があるのか。平和条約のない国には、どれだけの自主権があるのか。私たちには多くの自由があると言われてはいるが、東のもう一つのドイツとまったく同じように、超大国に依存しているのではないか。狂気が新たにエスカレートしていくにつれて、そもそも「民族」とは何か、という問いも一層鋭くつきつけられている。

 年明けに再読しました「幻なき民は滅ぶ」(ドロテー・ゼレ 新教出版)の指摘です。ベルリンの壁崩壊の3年前、1986年に書かれたことに、21世紀の日本で驚きをもって20年ぶりに再読しました。
 沖縄の人々に米軍基地の受け入れ継続をお願いする総理大臣、外務大臣、防衛大臣。つぎつぎと人が消えていく日本で、10万匹のゴキブリを前に講談を語る。嗚呼